もまれねば
この味は出ぬ
新茶かな
サビは
鉄よりいでて
鉄を腐らせ
グチは
人よりいでて
人を亡ぼす
和歌山の友人の住職が
毎月送ってくれる
阿弥陀寺だより。
毎月発行して、
今月が333回目。
28年間。
毎月送ってきてくれています。
スゴイですね。
今月のテーマは「祈り」。
とてもいい内容なのでシェアします。
皆さんは、
祈り信仰が自己の願いを
かなえさせること、
これがご利益だとは
思っていないでしょうね。
いくら仏様に
祈っても信じても
自己の願望を
満足させてはくれません。
明日の数学の試験、
今回は「祈り」でやってみようと
数時間神仏に
「何とかしてくれ、助けたまえ」
と祈っても、
その願いは叶いません。
勉強する以外に方法はありません。
では、
祈りや信仰は無意味なのかと言うと
そうではありません。
求めるものが異なるのです。
「祈り」や「信仰」は、
それによって苦しみの事実を
取り除くという事ではありません。
起こった「事実」は
変わりません。
しかし、
変わるものがあるとすれば
それは何か。
それは、
私の心が変わるのです。
今までは、思い通りにならないと
誰が悪い彼が悪いと
怒りや妬み憎しみの心が
あふれ返っていた。
「祈る」ことにより
腹立てば 腹立ち事が 腹立てて
腹立ち集め 腹立てにくる
と言うこの「醜い心」を
よろこべば よろこびごとが よろこんで
よろこびあつめ よろこびにくる
と言う「感謝の心」に
転換してくれるのです。
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もまれねば
この味は出ぬ
新茶かな
サビは
鉄よりいでて
鉄を腐らせ
グチは
人よりいでて
人を亡ぼす
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そうですね。
「醜い心」で
亡ぼすのは
憎んだ相手ではなく、
あなた自身です。
「感謝の心」で
豊かにするのは
感謝した相手と
あなた自身です。
「感謝の心」を持って
毎日生きたいですね。
さあ、
今日も元気に生きましょう。