教習所の先生は自動車の運転技術と言う
大変有用な技術を教えてくれます。
教習所では「先生」と呼んでいるが、
卒業した途端に、
教官の名前は忘れてしまいます。
一方、
鈴鹿でたまたまF1レーサーに
運転技術を習ったとしたら、
多分、一生忘れないでしょう。
どうして、
同じ学びなのに違うのでしょう?
教習所の教官は
「君は他の人と同程度に達した」
と言う事を持って評価し、
F1ドライバーは
「君は他の人とどう違うか」
と言う事で評価します。
教官は「これでおしまい」と言う到達点を
具体的に指示し、
F1ドライバーは
「おしまいと言う事ない」
と言う到達点を消してしまいます。
ほとんど同じことを教えるのに、
「これが出来れば大丈夫」
と言う事を教える先生と
「学ぶ事に終わりはない」
と教える先生の間には
大きな「クレヴァス」があります。
私たちが「学ぶ」のは、
有用な知識や技術を
習得するためではありません。
自分がこの世界で
「ただ一人のかけがえのない存在」であると
言う「事実」を確認するために
私たちは学ぶのです。
内田樹
「なぜこの講座を教えようとと思うのか?」
「この人にどのようになってもらいたいと思うのか?」
同じことを教えても、
伝わり方は違います。
愛は目には見えないけど、
愛情は伝わります。
思いも同じです。
あなたの「あり方」が伝わります。
どのように生きて来たのか。
これからどのように生きようとしているのか。
学ぶことは楽しいですね。
教えることは面白いですね。
さあ、
今日も楽しく生きましょう。