はじめに言葉ありき。
「ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ」
中学の古典で暗記させられたのを覚えていますか?
「光のぞけき」とはどういうことか、
「静心なく」とはどんな事かはわからないけど、
とにかく暗記する。
そして、50歳になって、
ある春の日に、ふと言葉が自らの実感として出てくる。
その瞬間に、
歌と感覚の間の回路がつながる。
「静心なく花の散る」とはこのことだったのかと
実感する。
ごくごく微細なこの身体感覚は
この古典を知らなければ、
意識化することはない。
言葉を裏打ちする身体感覚がないという
その欠落感をずっと維持できているからこそ、
ある日その「容れ物」にジャストフィットする
『中身』に会うことができる。
(内田樹)
これが言葉の持つ威力。
自分の思いを表現できない、
もどかしさ。
言葉が余って、
身体感覚に響かないという歯がゆさ。
そんな体験を重ねて、
人は器を大きくしていく。
学ぶことを欲するものしか、
学べない。
未知との体験を喜び、
己の無知を知る。
言葉にできないもどかしさを知り、
古典を読む。
「ストン」と腹に落ちる心地よさを味わうと、
学びの素晴らしさを知る。
もっと、
もっと、
世界は深いぞ。